The Scientific Ocean

誰にでもわかりやすいように生命科学を解説しようとするアザラシのブログ。

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子宮頸癌ワクチンの論文の処遇について

ずいぶんと久しぶりになりました。ぷにぷにアザラシです。
最近めっきりサボってしまっていました。。。今回も論文紹介はできないのですが、
最近twitterで見かけた記事に対して、自分の意見を書いてみようと思い、今回の投稿に至りました。

今回気になったのは子宮頸癌ワクチン」に関するScientific reportに掲載された論文のリトラクト(掲載削除)に関してです。詳しくは以下のリンクに書いてあります。

note.mu

 

本論文はこちらです。

www.nature.com

 


はじめに断っておきますが、私はまだ若手研究者ではありますが、一応アカデミックに身をおいて研究をしている身ですので、研究が論文化されるまでの過程について、論文のことについて、全くの素人ではありません。また、今回の記事は、特定の人物や団体を、否定したり肯定したりするものではありません。その他、この研究者達が動物委員会の申請を通していなかったなど、何か他にも問題があるのかも知れませんが、今回はこのリトラクト(およびこの論文の研究)についてのみ、意見を述べさせて頂きます。

 

私は、今回のリトラクトは、少し行きすぎているのではないか、と感じました。

通常リトラクトとは、件の小保方さんの時のように、データの改ざん等、再現が全く取れない「嘘」が含まれている論文に対して行われるもののはずです。しかし、今回のリトラクトは、投稿されたデータに「嘘」が見つかったわけではなく、「HPVワクチンの副作用モデルとしては、実験計画が良くない」という理由によるものです。主には、

  1. HPVワクチンだけではなく、百日咳毒素も投与している
  2. HPVワクチンの投与量が多すぎる

でしょうか。これらについて、以下に私の意見を述べます。

 

1.について

百日咳毒素という名前なので、さぞかし強烈な毒、という印象がありますが、実際にはこれ単体でマウスが病気になる訳ではありません。実際にこの論文の図1(Fig. 1)でも、ちゃんと百日咳毒素だけを投与したマウスを用意して、他と比較しています。このFig. 1からわかるように、確かに百日咳毒素だけを投与したマウスや、HPVワクチンだけを投与したマウスではほとんど行動異常が出ない一方で、HPVワクチンと百日咳毒素を両方投与したマウスでは、行動異常が観察されやすい、ということがわかります。

 

2.について

人に投与する時は、0.5 mLを3回(合計1.5 mL)、という方法を取るようです。一方、今回の論文では0.1 mLを5回に分けて(合計0.1 mL)投与しているようです。基本的に薬を投与する時は体重をベースに用量を計算することが多いので、体重比較をしてみましょう。
人は女性の10代が主な対象ですので、平均を取って15才日本人女性の平均体重である51.6 kg(ここから参照)、マウスは11週齢なのでだいたい25 g(0.025 kg)くらいだとすると、(0.1/0.025) ÷ (1.5/51.6) = 137.6 なのでおおよそ140倍程度多い量を投与していたことになります。

 

これらを鑑みると、確かに、ヒトがHPVワクチンを投与された際の状況と、今回のマウスでの実験の状況とは、大きく異なることがわかります。

 

しかし、筆者たちもこのことは既に気付いていて、論文の要旨にも以下のように記載されています。

 

 These data suggested that HPV-vaccinated donners that are susceptible to the HPV vaccine might develop HANS under certain environmental factors. These results will give us the new insight into the murine pathological model of HANS and help us to find a way to treat of patients suffering from HANS.

(これらのデータは、HPVワクチンを投与された人のうちHPVワクチンに敏感な人は、特定の環境因子が揃えば、HANS*1になりうることを示している。これらの結果は、マウスを用いたHANS病態モデルに対する新しい知見を示し、HANSに苦しむ患者を救う手立てを見つける機会を私たちに与えてくれるだろう)

 

私が今回のこの問題で、意見を述べたいと思ったのは、「基礎科学をベースにした論文の結果からすぐに臨床現場のことを解釈するのは無謀だし、逆に、臨床現場に即していないからといって基礎科学的な研究を全否定するのはおかしい」と感じたためです。

 

百日咳毒素はよく使われる免疫活性化剤ですが、何の環境因子の代わりになるのか、それは未だに解明されていません。しかし、同じように百日咳毒素を使って、マウスで病気のモデルを作成し、創薬まで成功した病気もあります。それは多発性硬化症です。

多発性硬化症は指定難病のひとつで、1万人に1人くらいの割合で発症します。この病気は神経を取り巻く髄鞘といわれるものに、免疫細胞が間違って攻撃してしまって発症するとされますが、どうして発症するのかは未だに分かっていません。その病気に対する薬を作るのには、やはり動物実験である程度の成果を得なければならないのですが、ヒトでどうして発症するか分からない病気を、マウスで高頻度で発症させる*2のは至難の業です

そこで、多発性硬化症では免疫応答が異常になることに着目して、百日咳毒素をマウスに投与します。さらに、普通ヒトでは起こっていないのかも知れませんが、髄鞘のタンパク質(MOG等)を過剰に投与して、わざと免疫反応を起こします。これが、多発性硬化症の動物モデルであるEAEマウスの正体です。こうして書くと、EAEマウスもかなり異常なことを行っていますが、このマウスのおかげで今日の多発性硬化症に対する薬ができたのも事実です。

そういった意味で、今回HANSのマウスモデルを作成する時に、百日咳毒素を投与したり投与量を異常に高くしたのは、ある意味では仕方がない措置だったのかも知れません。

 

まだ、HPVワクチンと一部の人で見られるHANSと呼ばれる症状が、本当にHPVワクチンと相関があるかは分からないと思います。それに加えて、いくつかの臨床研究では、その2つの関係を否定しているのも事実でしょう。つまりHANSの存在自体があやしいというのは、否定できないことだと思います。

ただ、だからといって、今回のこの論文をリトラクトして良い、という判断にはならないでしょう。論文発表は科学に対して真摯であるべきです。例え現状とは合わなくとも、そこから何も得られない訳ではありません。この実験条件では、マウスは行動異常(および解剖知見)を示す、この結果もまた、立派な科学的事実です。今回の結果が本当に臨床現場の現象に当てはまらないのかは、これからの研究が決めることでしょう。また、この結果が、HANSではなく、他の研究に対して良い影響を与えるきっかけになったかも知れません。それなのに、そういう次に続いたかもしれない研究の芽を、リトラクトという形で取り除いてしまうことになった今回の件は、研究者として私は少し残念に感じました。

 

まじめで暗い話になってしまいましたが、最後まで読んで頂きましてありがとうございました。失礼致します。

 

*1:HPVワクチンによっておきるとされる神経炎症性症候群の総称

*2:高頻度で発症させる、というのは、もしもヒトとマウスが同じ頻度でこの病気にかかるのであれば、マウスを1万匹飼育してようやくこの病気のマウスを1匹手に入れることができる、ということです。こんな方法を取っていたのでは、いつまで経っても薬を作ることはできません。そのため、どんな病気に対する薬を作る場合でも、ほぼ確実に特定の病気を引き起こすことのできる病気のモデルをマウスで作ることは、とても重要なステップなのです。